2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧
しんらんき ⑥ 終 さて其の頃、常陸の国の国主、佐竹の形部左衛門殿は、毎年欠かさず熊野詣をされていました。今年も、栗本房、尚信法印を先達にして、熊野へと向かわれました。佐竹殿を初めとして、お供の者一千七百余人は、やがて三つの御山に籠もられまし…
真明座の長岡歴博公演「嫗山姥二段目」の後半「時行切腹の場」で八重桐を操った川野名座長は、まさに鬼人の如しでした。文楽では、「ガブ」という仕掛けで、頭の表情を瞬時に変えて見せますが、文弥人形にはそんな仕掛けはありません。八重桐の頭を瞬時に山…
しんらんき ⑤ 親鸞上人は、ある時人々を集めて法談をするために高座を飾り付けました。国中から老若男女が門前に市をなす程に集まり、上人の御説法を今や遅しと待っております。やがて、親鸞上人が高座に上がられて、法話が始まりました。 「さて、正月とい…
しんらんき ④ さて、越後の国府に流されていた親鸞上人は、ある時、共の者も連れずに只一人、常陸の国へ向かわれました。親鸞上人は、自ら笈を背負い、道中の所々で逗留しながら説法をして回りました。やがて、常陸の国笠間郡稲田と言う所にお着きになられる…
しんらんき ③ ある時、都周辺の碩学(せきがく)が集まって、こんなことを話し合ったのでした。 「この頃、法然や親鸞の教えが、どこでも、もてはやされているのは心外である。此奴等の教えが正しいとはとても思えない。」 「こんなに人々を引きつけるのは…
しんらんき ② 内裏において、善信房が歌の名誉を受けたことは、まるで仏の化現を思わせる様な出来事でした。さて、ある時、善信房は、修行のため六角堂(紫雲寺頂法山)にお籠もりになりました。すると不思議な事に、満月の夜に、観音様が白衲(びゃくのう)…
真宗のご本家、東本願寺は、親鸞伝の最高峰である「親鸞伝絵」以外の親鸞伝を、極力排斥した。親鸞に関する人形操りの上演中止どころか、正本の出版すら禁止したのである。これは、説経が寺社仏閣と仲良しなのと対照的なことである。説経者は、例えば関蝉丸…
6月吉例、真明座の長岡公演をお知らせ致します。午前の部:嫗山姥(こもちやまんば)八重桐廓噺の段午後の部:源氏烏帽子折(げんじえぼしおり)竹馬の場、宗清館の段どちらも、近松の作品です。源氏烏帽子折は、元禄三年(1690)近松が、38歳の時の…
ちゅうじょう ⑥終 さてその頃、中将殿は、牢獄から引き出されて、もう由比ヶ浜に引き据えられていました。 敷皮を敷いて西向きに座り直して、中将殿は、 「さて、皆さん聞いて下さい。十二年もの長い間の牢暮らし、とうとう今日限りの命となりました。無念な…
ちゅうじょう ⑤ 鶴岡八幡宮に参拝した二人は、手を合わせて、 「南無や、八幡宮。私たちが、遙々筑紫より、この国までやって来たのは、母の胎内で別れた、父の大橋を探すためです。どうか、父に会わせて下さい。」 と、深く祈願すると、彼の法華経を取り出し…
ちゅうじょう ④ 二人は、衣の袖を濡らしつつ、寺を立ち出でると、先ず、浜地へ降りて、便船を探しました。 《道行き》 漕がれ、筑紫を立ち出でて名所旧跡、浦々を 眺め越えさせ給いて 波路遥かに押し隔て 立ち返り、古里を 心細くも、打ち眺め 急がせ給いけ…