2011-12-01から1ヶ月間の記事一覧
平成24年、最初の舞台は、能舞台になりました。これまでの演出とは、少し趣向を変えて、能舞台ならではの、橋がかりを、十二分に活用して、よりダイナミックに踊ります。今年演じてきた「信太妻」とは、またひと味違う「信太妻」になると思いますので、是…
くまがえ先陣問答 ⑥ 善光寺の如来様のご加護が、確かにあったのでしょう。桂の前は、無事に能登の国 に辿り着くと、早速に忠純の屋敷を訪ねました。熊谷次郎直実の姫であることを告げる と、驚いた門番は、すぐに直家に取り次ぎました。久しぶりの兄弟の対面…
くまがえ先陣問答 ⑤ ようやく、善光寺に着きましたが、慣れぬ長旅に、姉妹は疲れ切っていました。とう とう、幼い玉鶴は、体力も気力も使い果たして、道端に倒れ込んでしまいました。道行 く人も、情けを懸けてくれず、桂の前が、懸命に看病しますが、水より…
くまがえ先陣問答 ④ 桂の前を追いだした北の方は、これで、邪魔な者は居なくなったと清々して、玉鶴姫 に、こう言いました。 「玉鶴よ、桂の前を追い出したので、もうお前と争う者は居ませんよ。吉日を選んで、 小太郎を迎えましょう。いいですね玉鶴。」 こ…
くまがえ先陣問答 ③ さて、直家一行を襲撃した季重(すえしげ)は、急いで熊谷に戻ると早速に、北の方 と縁組みの相談をしました。北の方は喜んで、二人の姫を近づけると、 「お前達の兄、直家は、鎌倉殿にお暇も申さずに、善光寺に参ったにより、頼朝公がご…
くまがえ先陣問答 ② その後、直実は、熊谷に帰りました。家の子、郎等を集めると、恩賞に給わった領地 を、家来達に分配しました。人々の喜びは言うまでもありません。そうして、熊谷一族 は、安泰でしたが、ある日の夕暮れ時、直実は南表の花園出ると、 「…
くまがえ先陣問答 ① 国を治め、家を安泰にするということは、君主次第のことです。君主が、賢聖であれ ば、国は治まり、君主が邪欲であれば、民は苦しみます。でありますから、「君、君た らずといえども、臣、臣たらざるべからず」(古文孝経:君主に徳が無…
永平寺開山記 ⑩ しばらく鎌倉で布教を行った道元は、再び修業の旅に出ることにしました。弟子となった最明寺は、名残を惜しみましたが、 「衆生済度の修業の御身ですから、お心に任せましょう。何国へともお出で下さい。そして、お心が止まった土地がありま…
永平寺開山記 ⑨ そうして、道元禅師は、洛中洛外の老若男女の病苦を救い、仏法を説き聞かせたので、人々は、道元禅師を、釈尊のご出世であると、大変に尊敬されました。しかし、道元は、それで満足したわけではありませんでした。ある時、道元は道正に、こう…
永平寺開山記 ⑧ 貧女と老女を連れ帰った道正は、道元に事と次第を物語りました。道元は、それを聞いて、 「親孝行の志、誠に殊勝なり。教化(きょうげ)してあげましょう。」 と、一家の秘密の開経(※法華経の序説:無量義経)を授けました。貧女は、あまり…
永平寺開山記 ⑦ 無事に日本に戻った道元、道正が、京の都に到着されたのは、安貞(あんてい)元年丁亥(ひのとい)(1227年鎌倉時代)の年のことでした。道元は、帰朝の報告をするために、装束を改めて参内されました。禁裏において諸々の奏聞をすると、…
永平寺開山記 ⑥ 道元、道正の二人は、偉大なる達磨大師の座禅の姿を心にしっかりと刻むと、急ぎ帰朝をしようと、天童山を下り始めました。達磨大師より頂いた有り難い柱杖を突きつつ、元の山道を辿って、谷よ峰よと越えて行きました。 しかし、どうも様子が…
永平寺開山記 ⑤ さて、哀れにも比叡山に落ち延びた神道丸と梅王は、慣れぬ山住まいに、都の方を眺めては、 「遙かの雲井のその下は、恋しい父のいらっしゃる都だが、また、恨めしき都でもある。」と、語り嘆いて過ごしておりました。 そんな時、ようやく神道…
永平寺開山記 ④ やがて、父の生首を抱きしめた金若丸は、呆然として神道丸の御前に上がりました。神道丸の驚きは尋常ではありません。将監の生首に抱きつくと 「なんという無惨な。木下将監よ。私たち兄弟を愛おしみくだされたのに、主命に仕方なく、我を討…
永平寺開山記 ③ さて、何も知らない神道丸が、父の元を尋ねますと、特段の用事も無く、せっかく来たのだからと、諸々話し込んでいましたが、金若が自室で待っているのでと、早々に退出すると、金若丸と今宵は語り明かそうと、急いで寝所に戻りました。 とこ…